英和辞彙

読売新聞の初代社長子安峻は「英和辞彙」を発行した人です。この和英辞典は、語彙が非常に少なく実用性という面においては限界がありました。

それで子安は柴田昌吉の助けを得て和英辞典を発行しました。この辞典は、当時の英語人気もあって、初版で5000部があっという間に売れて、直ぐに第2版が発行されました。そのような様々な事業の後、読売新聞の創刊に至りました。その当時は、日刊新聞ではなく、隔日刊紙でした。一日置きに発行されていたわけです。とても庶民的な新聞で漢字に読みがなを振っていました。教育に限界がある人にとってはとても助けとなる新聞だったようです。その翌年には日刊紙へと移りました。新聞の内容も徐々に充実させていき、事件や事故以外にも様々な分野を新たに盛り込んでいきました。例えば1897年には尾崎紅葉の金色夜叉の連載が始まりました。また、1906年には「運動界」と呼ばれる欄が新設されました。これは今で言うスポーツ欄に当たるものです。米肌 トライアルセット