色々な情報

初期の読売新聞の話ですが、1914年には身の上相談を連載し始め、さらには与謝野晶子が生活家庭面に相当する欄を担当するなど生活全般にわたって情報

を提供していきました。この新聞社の一つの転機となったのは1924年のことでした。その年に関東大震災が起こり、そのために経営難に陥りました。それを救ったのが正力松太郎でした。新たな社長に就任した正力松太郎は現在の読売新聞の基礎を築いた人ともいえます。その後、新聞の販売拡大に大きな貢献をもたらした出来事が起こりました。それは1934年のことですが、大日本東京野球倶楽部が補足しました。現在の読売ジャイアンツの前身となります。プロ野球チームを持つことによって、新聞社の名前は一気に広がるということになりました。その後、第2次世界大戦が起こり、戦後正力松太郎はA級戦犯として逮捕され暗い時代を迎えたものの、徐々に経営を拡大し、1977年には発行部数で朝日新聞を抜き、1978年にはギネスブックに発行部数世界一と記載されました。クーラナチュア